Carpe diem

飾らず ただ心のままに…
中東
旅に行く前に 久しぶりに書きとめておこうと見てみたら・・・
最後に書いてから、1年4ヶ月も経っていた。

あの頃 ドラミちゃんにカミングアウトしたんだなぁ。。。と、懐かしい。
あれからモロッコに行き、やはり感じることがあったし、友人もできて良かった。
ただ観光地に行ったり、パスポートのスタンプを増やしたりするのは
自分の性に合っていないから・・・やはり現地の人と関わることに意味があると感じてる。

今週末から中東に1ヶ月行ってくる。
エジプト→ヨルダン→シリア→レバノン→シリア・ヨルダン→イスラエル
というのが、現時点で予定しているルート。
今日になって、ようやく英語版のイスラエルのガイドブックを入手した。

ドラミちゃんには、「死にに行くようなものだ、バカだ」などなど散々言われた。
まわりも基本的な解釈は、中東=危険 というイメージで・・・
だけど、なんでだろう、自分にはそんな危機感が無かった。
やはり、ワタシがバカなのだろうか。。。

危険と思われる国に行くことが、カッコいいことだとは思わない。
まわりに心配をかけ、もしもという事態になれば本当に迷惑をかけるのだし。
・・・行く理由をマジメに説明したところで、理解なんてされるとも思わない。
ただ云えることは、やはり自分の内面的な問題なんだろう・・・ということ。

ようやく、ドラミちゃんに好きだと云うことを伝えたし、
清々しい気持ちで 旅を楽しんできたい。
まぁ、人生なんて、なるようにしか ならないだろう。

・・・なーんてポジティブなことを、根暗な自分が言うのも似合わないな。

ドラミちゃん、君が大好きだ!
ダメだ・・・
何か逃げたいことがあるたびに 心の中でリセットボタンを押してきた。
何から逃げたいのか・・・人であり、モノであり、おかれている状況であり。
自分自身の心の中にあるものを 忘れたい。
でも たとえ物質的なものを切り離せたところで 
自分の心から切り離すことなど出来なくて。

わたしは いつまで色んなことから逃げ続けていくのだろう・・・。
リセットするたびに、むしろ色んなものが心に絡み付いて離れなくなる。
そのたびに、自滅していく。。。そんなことは 分かっているのに。

何の為に 生きているんだろうなぁ。
私が消えても 何ひとつ変わることなく 世の中は動いていくんだろうから。
やっぱり そんなことをまた考えてしまう。
ネガティブ 万歳! 孤独病 万歳!
Carpe diem
直訳すると、「その日を摘め」。
ホラーティウスの句の中の、「おしゃべりをしている間にも、時は足早に過ぎてゆく。
明日が来ることをあてにせずに、今日一日を摘む(生きる)のがよい。」からきている。

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当たり前に思えることを 当たり前に行うことは難しい。
わかっていることを 容易にすることがなかなかできない。

自分の中にある歪んだもの、複雑にされたものを 削ぎ落としていく行為。
その行為こそを 自分が死んでいくまで行っていきたい。

もし今何かを悟ってしまえたとしたら、生きていくことは とてもつまらなく思える。
現実の生活の中で、こんなことを 誰かに言葉にして示そうとは思わない。
言葉をもてあそんで 時間をつぶしているわけではない。
ただ、せめて自分自身の為に、自分が思っていることをここでは素直に言葉にしたい。
正しいか間違っているか、今の時点で、それは自分にとっては問題ではない。
ひとがどう思うか、、、それも問題ではない。

実生活では、いつも笑っているから 能天気だと思われる。
どう思われていようと 構わない。
むしろ そう思われているほうが ありがたい。

だから、画面を前にしたとき、唯一、自分自身と向かい合える場所、
言葉にできる場所、それが 欲しい。
自分自身を棄ててしまうのではなく、
自分の良さも悪さも すべてを認め、自分にだけは偽りなくありたい。
そのためにも、自分の内面を浮き彫りにすることが 必要な作業となる。
ひとりごと
言葉なんて 氾濫しすぎている。
もう何千年と 色々な人間がいろいろな言葉・思想を生み出しているのに
なぜ、ひとは それでも 自己を表現したがるのだろう。
あまりにも沢山の本があり、映画、音楽、絵画があり
ひとは 表現することをやめないのだろう。

自分が今思っていることも 過去に思っていたことも、
既に 誰かが思い考えていたことと同じにすぎない。
この瞬間の自分の思いは 過去に存在した誰かによって所有されていたもの。
あらゆるものは もう出尽くされたに違いない。
模倣でなくとも 自分は誰かと同じ道を ところどころで歩いている。 

新しいことなど なにひとつない。
流れていく時代の中で、ひとは ただ同じことの繰り返しをしているに過ぎない。
言葉が氾濫していながらも、うけとる我々の心は死んでいるのかもしれない。
だから ひとは同じ過ちを繰り返し そして死んでいる自分の心に
何度も同じ言葉を浴びせては、言い聞かせているつもりになっているのだろうか。
そんなことは なんの意味も持たないのに・・・。

言葉をうみだそうとしたところで ただ無責任に投げ捨てているだけに過ぎない。
だったら それをやめて、要らないものを自らすててシンプルになればいい。
ただ、それだけのこと。。。
酒を飲んで我思う。
金曜の夜は、初めて女友達を連れて、いつものお店に飲みに行った。
その友人と会うときは、休日のランチやお茶だったので、
お酒を一緒に飲むのは 初めてだった。。。お酒が強くてびっくりした。
なぜに、お酒に弱い私の周りは、お酒の強い女性が多いのだろう(汗)。

あのお店に行くと、いつも、心が浄化されたような気持ちになれる。
ゲイバーで心が浄化されるって・・・?と思われるかもしれないが、
なんだか不思議だけれども 見えなくなっていたものを また取り戻せるようになる。
それは 勿論、マスターのおかげでもあり、会話の下手な私は
常連さんの話を聞いているばかりだけれども、その会話の中に、
必ず意味のある言葉や彼らの人としての豊かな経験を聞くことができるから。
ゲイである。ということからではなく、彼らの人としての生き様も心も
豊かであり、成熟しているのであり、頭もとてもきれるし、
何十年も、そういう常連さんたちが来るお店だからこそであると思う。
そんな素敵なお店の名前・・・言いたいけれども 言えなくて残念。

そして、帰り道、、、なぜだか 友達の意味について考えてしまった。。。
自分では 心を開いているつもりだった親しい友人にすら、
「ハルちゃん、心開かないよね。」と言われたことがあった。
友達が連絡をくれても、それに返事もせず・・・友達を自ら失った時期もあった。
人が私と友達になろうとして、携帯番号を聞いてくれても、
社交辞令だろうと思って、自分からは相手の番号すら聞きもしないこともあった。
本当に連絡があって、その後、とても仲良くなってから、、、
あの時は、こっちの番号も聞かないで、ハルは失礼だったよねー。と言われた。
親しくなったら、友達にすら何かを求めてしまいそうで、、、
人との関わり方すら 分かっていなかったんだろうと思う。
ある人には、飽きっぽい性格だから、友達になってもすぐ飽きるんだろう。
と言われたこともあった。
そうじゃない。ただ、人との距離の取り方が分からないから 怖かった。
遠すぎても 近すぎても・・・私の身をどこにおけばよいか分からないから。
どの自分を見せればいいのか 分からなかったから。
だから、知り合いばかりで、友達は全然いないなーと思っていた。

今の私は 少しは変わりだせているだろうか。
友達は 友達なんだと思えているだろうか。
お互いが壁にぶつかったとき、必要なときに、助け、助けられ、
その人の為に、親身に言葉をかける。。。
それだけの関係があれば、友達としてじゅうぶんなのではないだろうか。
それ以上、いったい何を望む必要があるというのだろうか。

いい歳した大人の言うことじゃないな、、、こんなこと。
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