Carpe diem

飾らず ただ心のままに…
ゲイジャパンニュース
ゲイジャパンニュースのサイト、最近たまに覗いているけれども、
日々こんなにも 同性愛関連のニュースがあるとは 正直ビックリ。

色々興味深い記事はあるけれども。。。目に留まったものをひとつ。

7/30/05
「イランで10代の同性愛者2人が絞首刑に」
8/31/05
「イランで再び同性愛者男性が処刑」
12/9/05
「イラン 同性愛者2人が死刑に」

8月31日の記事によれば、
「亡命したイランの同性愛者権利団体のホマンによると、1979年以来
少なくとも4,000人の同性愛者がイラン政府により処刑されている。」
とのこと。

ミシェル・フーコーだって、ウォルト・ホイットマンだって 
ゲイだからという理由なんかで処刑などされなかった。
(フーコーはエイズで亡くなったけど。)

殺し合いは 際限のない憎しみを生み出すだけだし 
スケープゴートでもあるまいし、同性愛者を処刑する意味など何もない。
そんなことすら、分からないのだろうか。

世の中 狂ってることが多いけれども
狂っていることこそが 世の中なんだろうか。
ゲイ/ビアンという言葉
英語だと ゲイという言葉は、男性女性問わず、同性愛者を意味する。
レズビアンという言葉は、勿論、女性同性愛者のことだけれど、その名前の由来は、
サフォーという女流詩人が同性愛者であり、レスボス島の出身であることからである。

日本だと、ゲイ=男性同性愛者、ビアン=女性同性愛者。
あるいは ホモ、レズという言葉を ノンケの人なら使う場合が多いと思う。
ゲイバーのマスターが 以前、ノンケの友人に説明していたけれども、
女性同性愛者に対しては、「ビアン」と呼び、「レズ」という言葉は使わないように
気をつけると話していた。
つまり・・・「レズ」と呼ばれることに嫌悪感を抱くビアンの人がいるから。
ノンケの人からすれば、ビアンだろうと レズだろうと 同じなのに・・と思うだろう。
(実際、レズビアンと言う言葉が分割されているだけなのに・・・確かに不思議)
そのマスターのように、相手への配慮の為、言葉を意識する人もいれば、
同じゲイでも、わたしの友人は、女性同性愛者のことをレズと呼ぶし、
彼自身のことも、ホモだとかオカマだとか 平気で言っている。

ちなみに、私個人としては、ノンケの人がレズという言葉を使うことにも、
日本人がビアンと言う言葉を使うことも 抵抗があった。
女性同性愛者のことも、ゲイと呼べばいいんではないか?と、感じていた。
と言いつつ、今は、ビアンだろうとレズだろうと、ズーレと冗談交じりに言われようと
もう慣れっこになって 気にならなくなったけれど。

という風に思っていたら・・・先日リンクを張ったゲイニュースジャパン
というサイトに以下の記事が出ていた(一部省略)。

ワシントン D.C.)最近のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙の記事によると、同紙が参照した一連の文献記事を調べた結果、‘ゲイ'という言葉はもはや男性同性愛者、女性同性愛者の両方を指す言葉としては適当ではないという。

「歴史的に、‘ゲイ'という語は、男性同性愛者と女性同性愛者の両方を指すものであったし、厳密に言えば現在もそうである」とヘラルド紙に話すのは、ワシントン・ブレード紙とニューヨーク・ブレード紙のクリス・クレイン編集者だ。クレイン氏は「しかし、女性同性愛者の多くは‘ゲイ'は男性同性愛者を強く連想させる語と感じ、‘ゲイ'という語の男性同性愛者イメージに自分たちが埋没してしまうのを防ぐため、‘レズビアン‘という語を別に使い出した」と続ける。

アンダーソン=ミンシャル氏はヘラルド紙に対し次のように語った:「同性愛者の世界では、‘ゲイコミュニティー'と言うと多くの場合、その語は主にサンフランシスコのカストロ地区、又は西ハリウッド、‘クイア・アイ・フォー・ザ・ストレート・ガイ'などに登場する男性同性愛者を連想させる。同性愛者全体を指す際に‘レズビアン'という語を併用することは、女性同性愛者が同性愛者社会の単なる一部ではなく、個々のコミュニティーを構成する要素であることを示すものとして必要。私は、女性同性愛者を指す場合だけではなく、‘バイセクシュアル女性や、レズビアンであるトランスジェンダー女性'を包括する場合にも、元は蔑称である‘クイア(queer)'という語を用います。」

ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト ウィリアム・サファイア氏は、社説の中で「‘ホモセクシュアル'という語がセクシュアリティーに強調を置く語であるために、メディアは悪名高い程に、‘ホモセクシュアル'という語をとりわけ名詞として用いることについて臆病である」と話している。

1970年代というつい最近まで、アメリカ心理学会は‘ホモセクシュアル'という語を‘倒錯、精神病、刑法に触れる行為'と結び付けており、そのため‘ホモセクシュアル'という語にネガティヴな固定観念を残している。


だそうです。
別にノンケの人には 興味ないだろうし、同性愛者でもこんなことは
どうでも良いと思う人も多いだろう。
ネット上では、ゲイのサイトはとても多く、それに比べ断然ビアンのサイトは少ない。
現実社会でも、ゲイの人たちは少しずつ表面化しつつあるけれど
ビアンは 表向きになることは あまりにも少ない。
映画にしても、本にしてもゲイのもののほうが多い。
だから なんなんだ?と言われても 返す言葉もないけれど、
自分自身のことだけ考えて生きている分には どうでもいいと思われることだけれど、
自分の認識するセクシャリティが置かれている現状と言うのは、
やはり まだまだ一般的に当たり前になるには 遥かに長い道のりなんだろう。
人が人を好きになるだけのことなのに・・・。
手紙
言葉も通じない 
心も通じない

本当に幸せになって欲しいと思っていたって
なにも伝わらずに わたしの想いは 歪められてしまう

きっと 愛されてなんていなかったのだと
わたしの妄想だったのだと思ったほうが気が楽になるし
実際 そうだったに違いない

ひとは 結局 自分自身のことしか愛せないんだろう
わたし自身は 勿論のこと。。。

たとえ わたしが狭い世界の中で生きているとしても
もう どうでもいい
わたしと関わってしまった不幸から
あの人は きっともうすぐ解放されるであろうから。。。

だから安心して あの人の人生を歩めばいい
そして どうか幸せになってほしい
あの人がわたしとの出会いを後悔していたとしても
わたしは あの人と出会えてよかった。。。
あの人
あの人のことを考えない日はない。

あの人が今いる場所は 雪も降ったにちがいない。 
冬服を持っていかなかったあの人は どうしているのだろうか?
いい大人なのに 料理もほとんどできないけれど ちゃんと食べているのだろうか?
お金を振り込んであげなくても 大丈夫だろうか?
そんな風に思いつつ・・・いまさらながら、あぁ きっとあの人は 私と知り合う前のように
あの人を愛してくれる誰かのもとにいるのだろう。そんな風に感じる。
あの人が子供の頃から抱いている虚しさも 孤独感も 
そんなことで 満たされる筈はないのに。
それでも あの人は あの人を必要とする誰かの傍に きっといるのだろう。
あの人と十数年前に別れたご主人さんとの間にいる娘さんは、
母のことを そこまで分かってくれる人はいない と
わたしがあの人と付き合っていたことをまったく気づかずに そう言ってくれた。

あの人が わたしを愛してくれたはずなのに。
出会った頃、あの人は あの人の孤独感を わたしが救えるのだと思ってくれていたのに。
どうして こんな風になってしまったのだろう。
どちらの愛が重かったかなんて 天秤にかけたいわけではないけれども
わたしを もう必要としていないのなら 私は何の意味があるのだろう。
わたしが あの人よりも大人になれなかったから…。
もし大人になれていたら 今この瞬間が別のものになったかもしれないのに。

わたしも あの人も お互いが知り合う前の自分達に戻ってしまうんだろうか。
お互いが お互いに抱えていた虚しさと孤独感を 
また人に期待することなく 諦めて進んでいくんだろうか。
お互いがなにも成長できない別れならば ふたりが出会った意味も 
一緒に過ごした時間も 一体、何の意味があったんだろうか。
そんな風に思いたくはないから あの人と出会ったことを
後悔ではなく 感謝しなければいけない。
そうでなければ 自分の気持ちのやり場もない。
ゲイバー
ゲイの友人とノンケの友人とゲイバーに行って 今帰り。
ゲイバーのマスターさんに、中山可穂の「弱法師」を借り、
「感情教育」は もう読んだからと言って 私にくださった。

彼女と付き合っていた頃 彼女がビアンバーに行きたがって、
何度か行ったことがあるのですが・・・正直 居心地悪くて馴染めず。
お店によって 客層やオーナーさんの雰囲気も違うのは当たり前だろうから
色々探せば 自分が落ち着けるビアンバーもあるのでしょうが…
そこまでして行きたいとも思わず それっきり。

こちらのゲイバーは ゲイの友人が 20年近く行っているお店で
客層も常連さんばかりだし お店の雰囲気もマスターさんの人柄も
わたしには 安心していられる場所で とても気に入っています。

別れた彼女とも一緒に行っていたので・・・この間はじめてひとりで行った際には
「別れたわけじゃないよね」などとマスターさんに言われ 彼女用にいれてあったボトルを
一緒に飲んでもらいながら 色々励ましていただいてしまったのですが。
そのお店に いつもひとりで来ている?明るいゲイのお姉さまを見ていたら 
恋人なんていなくたって 人生楽しく過ごせるものなのかもと、ふと思ったり。
お店のあとに行ったカラオケで ゲイのお友達が歌っていた 
中島みゆきの「根雪」のサビが 頭の中から抜けません。

いつか 時が経てば 

忘れられる あんたなんか


いつか 時が経てば 

忘れられる あんたなんか


・・・いつかって いったい いつになるんだろうか。
さて 今から 枕を濡らしながら寝るとします。
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